日本鉄道史の原点である旧新橋停車場・ゼロマイル標識に行ってきました
こんにちは、東京手みやげコンシェルジュcoco(@coco_rg51)です。幣サイトは、「東京駅を中心に選りすぐりの手みやげを紹介」というコンセプトで運営していますが、予想外だったのが「駅鉄」というキーワードでの流入です。
引用:ユキサキNAVI
はい、私もこのサイトをはじめるまでは「駅鉄」ということばを知りませんでしたが、東京駅にこだわって記事を書いている私は「駅鉄」なのかもしれません。そんな駅鉄の片鱗を感じる建物を新橋・汐留にて発見いたしました♪
パナソニック汐留美術館帰りにビル街に似つかわしいレトロな建物を発見
汐留にて予定があったため、前から行きたいと思い先延ばしにしていたパナソニック汐留美術館に足を延ばしました。美術館のガラス張りの窓から外を眺めていると、再開発された高層ビル街には異色の低層・瓦屋根の建物を発見!
思わず警備員さんに「あの建物は何ですか?」と聞くと(ストレングスファインダー社交性を駆使!)
「旧新橋停車場ですよ。資料館になっていて無料で見学できます。」
と教えていただきました。
「そうだよね、日本最初の鉄道といえば新橋-横浜だもんね。何かあるかも♪」
ということで行ってみました。こういうところは駅鉄なのか…⁉
旧新橋停車場とは
旧新橋停車場は、1872年に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎の外観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものです。
旧駅舎は関東大震災に際して火災のため焼失し、汐留駅改良工事のため残存していたプラットフォームや構内の施設も解体されました。
汐留駅跡地再開発に先立つ埋没文化財発掘調査にて旧駅舎やプラットフォームの一部が発掘され、史跡の保護や鉄道発祥を偲ぶため、駅舎再建に至りました。発掘された遺構の保存・公開、企画展が催されています。
旧新橋停車場は、鉄ちゃんより幕末明治維新マニア向け。江戸時代「西欧に鉄道なるものがあるらしい」って手紙、駅員さんの辞令、絵やらが展示。
伊藤博文が内閣総理大臣になって、鉄道開通区を中山道から東海道に変える決断をした。中山道になったら間違いなく歴史は変わってたよね。インフラ超大事!— coco@東京手みやげコンシェルジュ (@coco_rg51) February 14, 2019
ここが日本鉄道のゼロ地点「ゼロマイル標識」
この旧新橋停車場の裏にあるのが、0哩(ゼロマイル)標識です。日本の鉄道の歴史はまさにココから始まったんだと思うと感慨深いものがありました。
国道のスタート地点が「日本橋」と知っている人は多くても、日本の鉄道が新橋のココからはじまったのを知っている人は少ないのではないでしょうか。
【おまけ】パナソニック汐留美術館で旧松下電工社長の意を感じよう
元々の目的は旧新橋停車場ではなくパナソニック汐留美術館でした。この美術館の存在を知ったのは、「フランス人がときめいた日本の美術館」だったと思います。
「フランス人が勧めてるのに日本人の私が行かなきゃ」と感化されてです。
美術館への通り道、パナのビルにあるショールームは「最新家電の展示」というより「住宅展示場のショールーム」が相応しく、少し違和感を感じました。この違和感は後ほど解消されることになります。
この日の企画はこちら↓
最後に、ジョルジュ・ルオーのコレクションの一部が展示されていました。汐留美術館はルオー作品を240点も所蔵、内容を変えながら展示しています。
「なんでルオー作品だけこんなにコレクションしてるの?」
と疑問に思ってまたもや社交性を発動し、館員さんに伺いました。
「当時のトップの三好がルオーをコレクションしておりまして、それを当館にて展示しております」と。
「ビジネスで財を成して美術館や社会的に価値ある邸宅を後世に残す」というのは、私にとっては目標のひとつです。この美術館も、企業の社会貢献というよりは、ひとりのビジネスマンの思いからはじまったパターンだったのですね♪
気になって三好さんを調べると、三好俊夫氏は1980年代から90年代に松下電工の会長社長を歴任された方でした。
「あー、あのショールームはPanasonicではなくもともとはNational(松下電工)だったのね」
と合点がいき、違和感も解消されました。松下電器と松下電工が合併してPanasonicになると決まったときは驚きましたが、いまや自然な流れだったと感じますね。
変わらないために変わる!
※パナソニック汐留ミュージアムは2019年4月1日にパナソニック汐留美術館に館名変更されました。私がここを訪れたときはまだパナソニック汐留ミュージアムでしたが、本記事では「パナソニック汐留美術館」として書かせていただいてます。
パナソニック汐留美術館の館名変更プレスリリースはこちら
東京手みやげコンシェルジュまとめ
いかがだったでしょうか。
日本鉄道史の原点である旧新橋停車場、その近くにあるルオーコレクションに注力しているパナソニック汐留美術館をご紹介しました。
イチ山口県出身者としては、伊藤博文が鉄道開道区を中山道から東海道に変えたという記述が一番響きました。インフラ環境で人生って変わりますからね!人や物資の移動にはじまり、産業・雇用とその影響は計り知れませんからね。
東海道線はその後新幹線も通るようになった日本の大動脈。もし、中山道から鉄道がはじまってたら日本はどうなってたんでしょうね〜。
駅鉄のあなたはこちらもどうぞ↓