徳川将軍ゆかりの地を巡ってみよう

こんにちは、東京手みやげコンシェルジュcoco(@coco_rg51)です。

ドラマ大奥に感化されてこの記事を書き始めましたが、気づけば2ヶ月近く野ざらしに…
徳川歴代将軍15人のうち12人のお墓が東京都内の寛永寺・増上寺にあるんですよ。二寺参拝すればほぼクリアー、というわけで寛永寺・増上寺についてご紹介します。

目次

上野恩賜公園内にある寛永寺

寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。
寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。
後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。
しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。
また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、開かれたお寺としての役割を果たすことを目指しています。

 

引用:東叡山 寛永寺HPより

上野好きの私が寛永寺の存在に気付いたのは、大河ドラマで篤姫がきっかけです。「こんな近くに篤姫のお墓があるんだ~」と驚いたものです。篤姫以外にも4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の6人の将軍が埋葬されていました。しかし第二次世界大戦時に多くを消失し、現存するのは5代綱吉公の勅額門と水盤舎、8代吉宗公の御宝塔だけとなっています。

(参考)上野「寛永寺」のお墓案内 – 徳川将軍家の菩提寺、その歴史を知る

寛永寺自体は開放されているので参拝可能ですが、将軍家のお墓は公開されていません。上野恩賜公園の賑わいとは反対に、お寺自体はひっそりと、しかし立派な霊園を構えています。

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東京タワーのお膝元 増上寺

増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。
酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。
その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。

引用:大本山 増上寺 増上寺HPより

増上寺は見るからに立派なお寺だとわかる出で立ちです。はじめて浜松町に降り立ったとき「すごく大きなお寺だな~」と悠長に考えていて、徳川家の菩提寺だとわかったときは納得でした。

桜の名所としても有名で、桜×寺×東京タワーが絵になります。auのCMできゃりーぱみゅぱみゅが東京タワー前のお寺でコンサートをしていたのはまさに増上寺です。

増上寺と東京タワー

増上寺そばにある東京タワー

当山に埋葬されているのは、二代秀忠、五代将軍兄弟の綱重、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍の他、女性では将軍正室として二代秀忠夫人崇源院、六代家宣夫人天英院、十一代家斉夫人広大院、十三代家定夫人天親院、十四代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては三代家光の桂昌院、六代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人です。

 

引用:引用:大本山 増上寺 増上寺HPより

歴代将軍はもちろんのこと、大奥好きなら聞き覚えのある錚々たる女性たちが埋葬されています。以前は時期を限定して墓所が公開されていましたが、現在は通年で公開されています。

参考:大本山 増上寺HP 徳川将軍家墓所

増上寺にお参りするなら、是非ともル・パン・コティディアン 芝公園店 に立ち寄ってください。お味も雰囲気も抜群な、ベルギー生まれの世界的ベーカリーです。

ル・パンの絶品パン

 

【番外編】日光東照宮にある徳川家康の墓は強力パワースポット

寛永寺、増上寺を以て15代将軍のうち12人の墓所をカバーできます。では「残りの3人はどこに埋葬されているの?」が気になるところでしょう。

一代 徳川家康・・・日光東照宮
三大 徳川家光・・・日光東照宮(輪王寺)
十五代 徳川慶喜・・・谷中霊園

となります。徳川最後の将軍 徳川慶喜は谷中霊園なので、寛永寺の目と鼻の先ですね。

日光東照宮陽明門

日光東照宮陽明門

日光東照宮は神格化した徳川家康を祀っています。私がはじめて日光東照宮に行ったのは小学生のとき。「見ざる言わざる聞かざる」の三猿、陽明門、眠り猫を見て満足して帰ったものです。しかし、大人になって日光東照宮を再訪したとき、その景色は一変しました。

陽明門・本殿・眠り猫を通りすぎ、数百メートルいったところに徳川家康の墓(奥社の宝塔)があります。私は霊感があるわけではありませんが、「ここはパワーがみなぎっている神聖な場所だ」と肌で感じたのです。奥社の宝塔の横にある御神木「叶杉」にももちろんお願い事をして帰りました。これは小学生が修学旅行でワイワイいくような場所ではありません。大人になったいまでは「修学旅行客を入れないでくれてありがとう!」という想いです。

というわけで、日光に行く際は必ず奥社の宝塔までお参りするようにしていますし、日光を訪れる人にも必ず進めています。

「平成は30年しかないのに江戸時代はなぜ200年以上続いたの?」という息子の疑問

平成→令和への改元フィーバーの折、我が息子ながら鋭い質問をしてきました。
「平成は30年しかないのに江戸時代はなぜ200年以上続いたの?」

江戸時代は「太平の世」というくらい争いがなかった。江戸時代は徳川将軍15代を一続きにして1時代と捉えていますが、明治以後は天皇の入れ替わりを機に時代を区切っています。また、江戸時代の改元はいまほど仰々しいものではなく、同じ天皇でも複数の元号を用いることがありました。事実、wikipediaによると、江戸時代に在位した天皇は15名、元号は35に及びました。

江戸時代は外乱・内乱が少なかったからこそ学問や元禄・化政といった文化が花開きました。しかし、一方では身分が固定化され、明治維新を経て身分の差がなくなってからイノベーションが生まれ、日本の生産性も上がっていったそうです。さて、令和はどんな時代になるのでしょうね。

東京手みやげコンシェルジュまとめ

いかがだったでしょうか。ドラマ大奥をきっかけに、徳川16代将軍の墓所について深堀してみました。
行ってみたくなったところ、行ったことはあったけれど「徳川の墓所があったなんて気づかなかった」というところ、ありましたか?

何度も書きますが、私は田舎出身でいま自分が暮らしているところと歴史に出てくる場所は全く関わりのない世界だと思い込んでいました。皇居が江戸城だったことに気付いたのもつい最近(汗)

是非とも現代と歴史の繋がりを見つけてみてください。今回ご紹介した寛永寺のある上野、増上寺ともに桜の名所としてもおすすめです。